谷 憲三朗 氏

東京大学定量生命科学研究所・特任教授

遺伝子治療の歴史と遺伝子治療薬製剤化に向けた努力

発表要旨

遺伝子治療が世界で初めて公的承認のもとに人を対象に米国において実施されてからはや30年が経過している。遺伝子治療は当初より、いわゆるトランスレーショナルリサーチの代表として、多方面から注目され慎重に実施されてきた。特に薬剤化する上で最も重要な安全性において、遺伝子導入用ベクターの安全性は当初からの課題であった。実際に2000年前後にはアデノウイルスベクターとレトロウイルスベクターについて、当初より懸念されてきた問題点が残念にも実際の臨床において実証される事態が発生した。この段階で米国においては遺伝子治療の見直しがなされ、本邦においても研究費の縮小がなされたこともあり、この時点で遺伝子治療は潰え去るかに思われた。しかしこの逆風の中にありながら世界中の遺伝子治療研究者らは精力的な研究を継続し、バックトランスレーショナルリサーチとしてこれらの問題点についての検証研究を着実に積み重ね、新たな解決策として具体化させてきた。このような背景を経て、2012年にアデノ随伴ウイルスベクター製剤であるGlyberaの欧州での承認がなされ、その後も遺伝子治療製剤の承認が世界中で続き、特に2015年には腫瘍溶解ウイルス製剤Imlygicが、2017年にはキメラ抗原レセプター遺伝子導入T細胞製剤KymriahおよびYescartaが米国で承認され、遺伝子治療薬への期待が次第に増してきている。一方で遺伝子治療は多岐に亘る治療法の開発が行われてきており、その製剤においても剤型が極めて異なる。則ち、in vivo遺伝子治療の場合にはウイルスベクターそのものが製剤となるが、ex vivo遺伝子治療の場合には遺伝子導入細胞が製剤となる。そして当然のことながらこれら全ての製剤において、安全性についての高度な配慮が求められるようになっている。本セミナーではこのような背景のもと、私共のこれまでの経験を中心に遺伝子治療薬の製剤化に向けた努力と課題について述べさせていただく。

プロフィール


1979年4月 アメリカ海軍横須賀病院 インターン
1980年 - 1986年 東京大学大学院第3種博士課程
1982年12月 - 1984年11月 シティオブホープ医学研究所(アメリカ合衆国)リサーチフェロー
1986年4月 日本学術振興会特別研究員
1988年1月 東京大学医科学研究所病態薬理学研究部助手
1993年4月 京都大学ウイルス研究所非常勤講師併任
1995年2月 東京大学医科学研究所病態薬理学研究部ならびに付属病院内科助教授
2000年4月 改組により東京大学医科学研究所分子療法研究分野、東京大学医科学研究所付属病院内科、助教授
2002年2月 九州大学生体防御医学研究所・ゲノム病態学分野 同附属病院体質代謝内科(別府地区)教授
2003年10月 九州大学生体防御医学研究所・ゲノム病態学分野 九州大学病院先端分子・細胞治療科(博多地区)教授
2010年4月 九州大学生体防御医学研究所長併任
2015年4月 東京大学医科学研究所・ALA先端医療学社会連携研究部門 東京大学・特任教授
2015年5月 九州大学名誉教授授与
2020年4月 -(現在)東京大学定量生命科学研究所・ALA先端医療学社会連携部門 東京大学・特任教授